ココロをゆさぶる深い自然体験を得ることは、この世界の中で私たちに与えられた本来の居場所を理解するという大切な学びにつながっていると感じています。
私は山に登ります。それも一人で登ることが好きです。
一人登山には大きな危険が伴うことをココロもからだも分かっているため、五感が研ぎ澄まされます。
五感が研ぎ澄まされるとは、極度に集中していることなんだと思います。大地を踏みしめる一歩一歩に全神経を集中させる。そんな最中に美しさを堪能する余地はありません。けれども、そんな狭い範囲の集中は、人の意識を覚醒させます。
そして、ふとした瞬間に今まで見たことのないような景色に出会うと、ココロが揺さぶられます。
それが深い自然体験なんだと思います。そこに大きく魅了されるものがあるから一人で登るのが好きなんだと思います。
そんな登山に魅了されてから、自然の中にどっぷりと浸かって生きていきたいと願うようになりました。
今を生きるということ
いつも何か心配ごとにかかりきりで、なかなか周囲の事物に気付く人は少ないと思います。
ある人がこんな実験をしてます。
屋外にある一本の美しい木を、出来る限り長く見つめるように25人の人たちに指示しました。
そして、木から意識が遠のいて他のことを考え始めたら手を挙げるようにと指示しました。
そうすると、わずか6秒後には25人全員が手を挙げたとのことです。
これほどココロもからだもせわしない人々に自然を深く体験してもらうために、私に何ができるのか?
きっと、永遠のテーマなんだと思います。
たぶん、私も5秒後ぐらいには手を挙げてしまいそうだからです。
「五感をフルに使う魅力的な自然アクティビティ」
そんなアクティビティは、一体どんなアクティビティなのでしょうか。
至極の瞬間
アブラハム・マスローは、至極の体験とは「極度の幸福感」を伴う特に歓びに満ちた体験であり、「自己を超越した一体感の意識」を伴うことが多いものであると語っています。
登山なんかは極度の集中を伴います。特に一人登山の場合は。
そんな極度の集中は、人の意識を覚醒させます。
そして、長時間にもおよぶ登山は、自分との戦いになります。
自分との戦いを続けていると、自分の殻が破られ一体感を感じるときがあります。
それこそが、「極度の幸福感」なんだと思います。
ただ、それほど危険を伴わないハイクやウォークなどにおいても、人々を完全に自然に集中させる体験的なアクティビティがあれば、こうした至極の体験を促すことができます。
では、そんなアクティビティは何か?
それこそが私の永遠のテーマなんだと思います。
それこそが私がひとりビジネスを始めた理由だからです。
私は、自分自身が自然の中にどっぷりと浸りたいと思うのと同時に、多くの人に同じ体験をしてもらい、人生の真の目的を垣間見てもらいたいと思い、このビジネスを始めました。
人生の真の目的の答えなんて、きっとありません。
でも、その人の人生はその人しか選択できません。だから、自分の人生の意味を考えてほしいのです。
この体験を通して、少しでも多くの人に気づいてほしいんです。
自分は何者で、何を大切にし、どう生きていきたいのかを。
自然と向き合う
科学は、花咲く桜の木を説明することしかできません。
桜の木を全体的に「体験する」助けにはなりません。
地球への愛情と配慮を育むには、深くのめり込めるような自然体験が必要です。
そうでなければ、私たちと自然との関係は、遠く抽象的なままで、私たちのココロの深いところに触れることはないでしょう。
のめり込むような体験は、私たちを自然と向き合わせてくれます。
人間の魂は全世界をも内包するといわれています。
体験型学習のより深い目的は、人生の経験の幅を広げ、自分以外の現実を自分の現実として受け入れられるようにすることにあるのです。
人は自然の中に浸っているとき、からだは消え、解放された魂は外に飛び出しています。
肉体的な身体と利己的な自己を超越し、自らのアイデンティティを広げることができたときに初めて、遥か彼方の水平線や美しい声でさえずる鳥たちなど、無数の喜びと交わることができます。
静かに受け身の状態でどっぷりと自然に浸っているときにこそ、人生の真の目的が自然と明らかになってくるものです。
自然の懐深くに入った体験は、何年もかけてようやく獲得できるような新しい人生の見方や優先順位に一瞬で気づかせてくれます。
求める自然体験アクティビティ
以上のことを踏まえると、次の3つの視点で考えていく必要があると思います。
「極度の集中により五感をフルに使うような状況に追い込む」、「肉体的な身体と利己的な自己を超越させる」、「静かに受け身の状態でどっぷりと自然に浸る」の3点です。
そんな3つの視点を掛け合わせたアクティビティを求めていく必要があると思っています。
まず、「極度の集中により五感をフルに使うような状況に追い込む」にはどうすればいいか。
これは、一人登山であれば自然とそんな状態になるものと思われますが、複数の人と登山するとまず安心感があるせいか、そうはなりません。
極論で言えば、目かくしをして山登りをすればそういった状態に追い込むことは可能でしょう。
でも現実的にはそれは無理です。
なので、薄暗い道や暗闇の道を歩くといったことでそんな状態に追い込めるかもしれません。
私は、そんな視点で「ナイトハイク」「トワイライトハイク」「夜の森探検」などのアクティビティをやってます。
ただ、「森林浴ハイク」については、極度の集中により五感をフルに使うような状況に追い込むものではありません。
五感をフルに使うような状況は同じですが、極度の集中を伴っていません。
そうなるとやっぱり、人生の真の目的は見えてこないんだと思います。
別の視点で整理すべきなのか、それとも極度の集中を追い求めるべきか、今後の課題としたいです。
その他にも「極度の集中により五感をフルに使うような状況に追い込む」方法について探求していきたいと思ってます。
次に「肉体的な身体と利己的な自己を超越させる」です。
これについては、今時点では「長時間、しんどい思いをして歩いてもらう」しか思いついていません。
「チャレンジ登山」で長時間のハイクをやっているのもこの理由からです。
他にどんな手法があるか。今後の課題です。
最後に「静かに受け身の状態でどっぷりと自然に浸る」です。
これは、どのハイクでも静かに佇む時間を設けています。
ただ、グループや親子で参加してしまうと、どうしても親子やグループ内でおしゃべりが発生してしまいます。
そこらへんをどうにかできないものか。今後の課題です。
以上の3点を掛け合わせたアクティビティを追い求めていきたいと考えています。
今、実施しているアクティビティは3つすべてを兼ね備えているとは思っていません。良くて2つでしょう。
そう考えると、やはり長期間の縦走登山がいいと思いますが、敷居が高いため多くの人に体験してもらえないでしょう。
なので、
「誰もが魅力を感じるアクティビティ」
「誰もが参加できるアクティビティ」
「誰もが人生の真の目的を垣間見るアクティビティ」
この3つを柱とし、
「極度の集中により五感をフルに使うような状況に追い込み、肉体的な身体と利己的な自己を超越させ、静かに受け身の状態でどっぷりと自然に浸るアクティビティ」を追い求めていきたいと思います。