かなり整備された登山道を歩いていると道標も整備されているし、登山者も多いせいか踏み跡も明瞭です。
また、読図に長けたリーダーを擁するグループの一員であれば、リーダーが進むべき道を判断しそれに従うだけでいいですよね。
それでいいと思っている人は、そこに地図を読む意味は存在しないですし、登山者としての自立はありません。
次に同じ山、同じルートを歩いても「ここ歩いたことあった?」と思うはずです。
また、一度登ったから一人で登れると思い、山に赴いても「こんなはずではなかった」と思うでしょう。
歩いたルートの記憶が一切残っていないからです。
でも、もしもあなたが読図を勉強したいと思うのなら、そこには必ず地図を読む意味が生まれます。
そして、考えながら山に登ると記憶に残ります。
さらに違う山でも、その考えるという行為が活かされます。
そう、あなたは自分自身の登山の世界を広げたいのです。
登山者として自立し、自分だけのフィールド、コースを地形図から想像し、そこへ脚をのばしてみたいのです。
そこには間違いなく、出会った景色によって心が動かされるあなたがいるだろう。
そんな自分に出会えたなら、きっと山登りが病みつきになることでしょう。