ソロキャンプの魅力は、なんといっても緩やかな時の流れを感じること。
ファミキャンと違い設営もパパっとすぐ終わり、あとはまったりするだけ。
ファミキャンもだが、ソロキャンプはさらにシンプルキャンプを心掛けると随分楽になる。
自分にとって最低限必要な物だけを持っていけばいい。
歩いてテント場へ行くテント泊登山と違い、近くに車もあるから最悪車で寝ればいい。足りないものも買いに行ける。
できれば、あまりキャンパーのいないキャンプ場がいい。
恐羅漢エコロジーキャンプ場や無料の聖湖キャンプ場、立野キャンプ場なんかがいい。
しかし、時代の流れか、お気に入りだったキャンプ場はどんどん閉鎖されているような気がする。
特に二川キャンプ場が閉鎖されているのは残念でならない。
落枝などを集め、焚き火をし、本を読む。
火で沸かしたお湯でコーヒーを作り、景色を眺めながら、ボ~っとする。
仕事どう?といった、何でもない話を気の合う仲間とくっちゃべる。
それでもまだ、時間が余る。
なんて贅沢な時間なんだとさえ思う。
街で生活しているとなぜあんなに時間に縛られてしまうのか。
特にサラリーマンをしていた時は、強くそう思う。
さらにコロナ禍で時差勤務となると、一段と時間に縛られている感が増していた。
昔の人は、狩猟など食べるために費やす時間がほとんどであったと思うが、現代社会では、豊かな生活を送るために費やす時間がかなり大きい。
家を建てるため、スマホ代を払うため、車を買うため、電気代を払いガス代を払うため。いったいどれだけ豊かな生活をおくることに縛られているのか。
きっと食費だけで済むのなら、対価を得る仕事はそんなにしなくてもいいわけで、そこには豊かな生活をおくれる者こそが人生の勝者であるという風潮や教育が、この現代社会にあるような気がしてならない。
今では各家庭に一台はある車だが、その車を買うためにどれだけの時間を費やしている?
ある目的地へ行くだけならば、きっと歩いて行ったほうが早いはずなのに、何か月も働いて対価を得て、貯金して。。。
そこには便利さへの憧れもあるのだろうが、大昔の人と競争していていたら大負けである。
住居もそうだ。
マイホームを得るために何年費やす?
35年ローンだと合計40年くらい?
大昔の人に話したら、唖然とされそうである。我々は1日もあれば終わると。
仕事は人生の一部であるが、豊かな生活をおくるためではない。どんな仕事であってもその底辺にあって支えているものは、その人にしか語ることができないものがあるはずだ。
自然の中に身を置き、ゆったりとした時の流れに身を任せることができるキャンプは、そんな素朴な考えが頭の中をよぎる。
火を起こし、食事を作り、暗くなったら夜空を見上げ、明るくなったら目を覚ますことをしていると本来の人間としての生きる力を思い出す。
かつて人間は、森の中で暮らしてきたからこそ、自然の中に身を置くことで生きる力が回復するのかもしれない。
ソロキャンプは、働き盛りの大人におすすめしたい野遊びであるが、こうしてソロキャンプに出掛けられたのも妻のおかげである。自分だけ好きなことをさせてもらっていたことに感謝の気持ちでいっぱいである。