剣山は県境に属さない徳島県単独の山で、その標高は1955mもあり西日本では石鎚山に次ぐ第2の高峰です。
別名太郎笈(たろうぎゅう)と呼ばれ、南西の次郎笈(じろうぎゅう)と対峙しており百名山のひとつに数えられています。
山名に「剣」という文字が付くことから険しい山容の印象を持ちますが、実際には山頂部は草原上のササ山でなだらかで柔らかいイメージの山容です。
ここでは、登山ルートの紹介や三嶺までの縦走路、さらにソロモンの秘宝伝説や伝説にまつわるもう一つの魅力についても書きたいと思います。
ソロモンの秘宝伝説の話はちょっと長くなるので、興味のない方は読み飛ばしてください。
山名の由来は、山頂近くに大剣と呼ばれる岩からきているとも、壇ノ浦の戦いで敗れた平家・安徳天皇が密かに生き延び、三種の神器のひとつである宝剣を剣山に納め、これをご神体としたことから剣山と呼ばれるようになったともいわれています。
剣山も石鎚山同様に修験道の山として古くから知られ、山岳信仰の対象の霊峰です。
昭和の初め頃までは、女性が近づくことさえ許されない女人禁制の霊山であったともいわれています。
ご神体の巨岩を祀る大剣神社や山頂には安徳天皇の宝剣を祀るとされる宝蔵石神社があり、参道にも多くの神社仏閣があります。
また、山頂近くの北斜面には「行場」と呼ばれる修行用の難所がありますので興味のある方は行かれてみてください。
そんな剣山ですが、今では観光登山リフトが開設され、観光客も気軽に登ることができるようになり観光の山となりました。
また、リフトを使わなくても登山口の見ノ越の標高は1400mほどあり、山頂との標高差はたったの555mしかありません。
宮島の弥山の標高差が535mなので、標高の割には楽に登ることができる山といえます。
そして、剣山と言えば、ソロモンの秘宝が隠されているという壮大な歴史ロマンが語り継がれている山。
興味のない方は登山ルートまで読み飛ばしてください。
ソロモン秘宝伝説
ソロモンの秘宝とは、約3000年前の紀元前1020年頃に建国された古代イスラエル王国のソロモン王の時代に聖地エルサレムの神殿に安置した神宝のことです。
ソロモン王はエルサレム神殿を造り、その最も神聖な場所、至聖所に神の臨在を象徴するイスラエルの神宝「契約の箱」を安置させたことが聖書の歴史書に記録として残されています。
時をさかのぼることモーゼの時代。
神は十戒を2枚の石板に刻み、モーゼに授けました。そして石板を納める箱を作るようにモーゼに指示しました。
その箱がいわゆる「契約の箱」とも呼ばれる聖櫃(アーク)です。
箱は日本でよく見られるお神輿のような形をしています。
神の指示とは、アカシア材を使い箱の内側も外側も純金で覆い周囲に金の飾り縁を付けること。
そして箱の四隅の脚に金環を付け、そこに棒を通して箱を担げるようにすること。
さらに箱の上部には、金の天使2体を向かい合わせて乗せることなどとかなり具体的です。
そして、箱の中には石板以外に「モーゼの兄アロンの杖」と「奇跡の食べ物マナを納めた金の壺」を納めたのです。
「アロンの杖」とは、皆さんご存知?のモーゼが杖を掲げると海が割れ、道を開いたとされるあの杖です。
聖櫃(アーク)は超自然的な力を持っていたといわれ、移動させるときは祭司たちが担いで移動させ、どこかに留まる場合は幕屋と呼ばれる移動式の神殿に安置させていました。
私たちが神輿を担ぐのと同じように。
そして時が進みイスラエル王国の時代になり、その三代目であるソロモン王は先代の王であるダビデ時代からの悲願であったユダヤ教の聖地となるエルサレム神殿を造り、その最も神聖な場所へアークを安置させたのです。
その箱の中には「2枚の石板」が収められ、側には「アロンの杖」と「マナを入れた壺」が添えられていました。
このとき、聖櫃の中に納めていたのは「2枚の石板」のみといわれています。
つまり、ソロモンの秘宝とはこれら3つ「十戒の石板」、「アロンの杖」、「マナの壺」の神宝と石板を収蔵していた聖櫃(アーク)を指します。
それらはソロモン王の死後もエルサレムに安置されていましたが、イスラエル王国から分裂した南ユダ王国が、紀元前587年に滅ぼされた際にエルサレム神殿も破壊されてから、アークの行方はわからなくなってしまいました。
そのため、「失われたアーク」とも呼ばれているのです。(「アロンの杖」と「マナを入れた壺」はソロモン王の時代にはすでに紛失していたという記述もあります。)
さらに、時を少しさかのぼること紀元前722年、王国が北イスラエル王国(10支族)と南ユダ王国(2支族)に分裂となり、北イスラエル王国がアッシリア帝国に滅ぼされると、その10支族も行方不明となっています。
その10支族は「イスラエルの失われた10支族」とも呼ばれ、彼らが持ち出し運んだのかエルサレム神殿の破壊と一緒に壊されたのか真相は分かっていませんが、その10支族の一部がソロモンの秘宝を運び出し日本に来て国を創り収めていたのではないか、そして、そのソロモンの秘宝が剣山周辺に埋蔵されたのではないかという伝承が古くから四国に語り継がれているのです。
ちなみに、エルサレム神殿の門の紋章と天皇家の家紋が「16弁の菊花紋」で同じ模様という事実は、皆さんもご承知のとおりですよね?
また、日本神話に登場する日本最初の天皇、神武天皇の名前は「カム・ヤマト・イワレビコ・スメラミコト」と書かれ日本語では意味不明ですが、古代イスラエルで使われていたヘブライ語ではその意味を理解することができるとされています。
つまり、イスラエルの王系一族が日本列島に移住し、新天地である日本においても王系を継承し天皇として君臨していたのではと考えられているのです。
北イスラエル王国が消滅してからおよそ60年後にあたる紀元前660年の旧正月、太陽暦では2月11日に神武天皇が初代天皇として即位し日本列島において新しい国家が息吹いています。
天皇家のルーツを探る壮大な話です。
話を剣山に少し戻します(まだ秘宝伝説の話です)。
剣山の山名の由来は、先に述べたように第81代天皇の安徳天皇が密かに生き延び、宝剣を剣山に納めたからといわれています。
安徳天皇の宝剣とは、三種の神器である草薙の剣を指します。
それは、安徳天皇が壇ノ浦での戦いにおいて海に身を投げた際に、草薙の剣が関門海峡に沈み失われたとされているからです。
つまり、言い伝えでは、三種の神器のひとつである草薙剣が剣山に納められているということです。
「三種の神器」とは、皆さんも令和へ元号が変わる時に天皇家の儀式をテレビで見た人も多いと思いますが、天皇が代々引き継いでいるもので、「八咫鏡(やたのかがみ)」と「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」と「草薙剣(くさなぎのつるぎ」の三つです。
その「三種の神器」については、今日では神宝の現物を見ることができないことから様々な文献や言い伝え、皇室のしきたりなどの内容を検証しながら推測されています。
その推測では、「八咫鏡」の形は十戒の石板に類似し、「八尺瓊勾玉」は丸い容器のマナの壺に類似。
そして「草薙剣」は細長いアロンの杖に類似しているというのです。
イスラエル王国で神宝として崇められていた3つの宝が、日本においても「三種の神器」として代々の天皇に受け継がれている?とも考えられます。
「草薙剣」はスサノオノミコトが八岐大蛇を退治したときに、その尾から取り出したとされる剣です。
一説によると、八岐大蛇は大陸からやってきた海賊船でその船から取り出された神宝(もしかしたらアロンの杖?)であるともいわれていますが、真相は定かではありません。
もしもその説が正しいのであれば、あのモーゼが海を割いた「アロンの杖」が剣山に納められたということになります。
さらにもうひとつ驚くべきことは、剣山は人工のピラミッドといわれていることです。
そう、剣山の頂上は自然体の山ではなく人工のものといわれているのです。
それは、剣山の発掘調査によるものです。
昭和11年から3年かけて剣山の発掘調査を行い、「人工の鏡石」の出土に成功し「ミイラらしきもの」や「アーチ状の天井をした空間」、「三日月形の大理石」に「人工的な積み石構造」の壁面も見つかったと記録されていて、「剣山は人工の山であり、秘宝が埋蔵され、山中に埋められた後に盛土された形跡がある」と強く訴えているのです。
また、剣山の西側にある祖谷地域で古くから伝わる民謡があります。
その歌詞とは、
『九里きて、九里行って、九里戻る。
朝日輝き、夕日が照らす。
ない椿の根に照らす。
祖谷の谷から何がきた。
恵比寿大黒、積みや降ろした。
伊勢の御宝、積みや降ろした。
三つの宝は、庭にある。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
先なる車に、何積んだ。
恵比寿大黒、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
中なる車に、何積んだ。
伊勢の宝も、積みや降ろした、積みや降ろした。
祖谷の空から、御龍車が三つ降る。
後なる車に、何積んだ。
諸国の宝を、積みや降ろした、積みや降ろした。
三つの宝をおし合わせ、こなたの庭へ積みや降ろした、積みや降ろした。』
かなりミステリアスで意味深な歌詞です。恵比寿大黒、伊勢の宝、諸国の宝とは何か。
三つの宝とは何か。三種の神器と関わりがあるのか。
壮大な歴史ロマンを感じる剣山と四国。
そんなことを調べて剣山に登ってみるのはいかがかですか?
伝説にまつわるもうひとつの魅力
先に述べたように、剣山にはソロモンの秘宝が隠されているという壮大な歴史ロマンが語り継がれている山です。
剣山周辺にそれを物語るかのような場所もあるので、それらを巡ることも剣山の魅力の一つと思いますので紹介します。
石尾神社
かつては、吉野川周辺の平野部から剣山へ登るためには、麓にある穴吹と呼ばれる村の近くにある石尾神社にまずお参りし、杖立峠を越えて頂へと立ったと言い伝えられています。
石尾神社のご神体は幅約100m、高さ約30mもある巨大な一枚岩です。
その巨石には「金鶏の風穴」と「方向の風穴」と呼ばれる大きな割れ目があり、遠い昔から「金の鶏」がそこに埋蔵されたという伝説が残されています。
金の鶏?
「契約の箱」の上に乗る向かい合う2つの羽を広げた天使を思い浮かるのは私だけでしょうか。
磐境神明神社
石尾神社より吉野川平野に近い場所にこの神社があります。
神社でありながら、四方を石垣に囲まれた特異な形態をなす神社で5つの祠があり、まさに古代文明の遺跡のような稀な形状をしています。
外来宗教の影響を受ける以前に存在していたとされる宗教、古神道の盤境(神域を示す祭祀場所)と呼ばれています。
ユダヤの礼拝所と酷似した造りであることから、イスラエル大使もここを訪れ古代ユダヤとの関わりを感じたそうです。
鶴岩・亀岩
剣山の山頂近くには、古くから鶴岩、亀岩と呼ばれる2つの巨石があります。
剣山の発掘調査は、この岩の根元から行われさまざまなものを発掘したのです。
今でも発掘跡とされる石が並べられておりソロモンの秘宝伝説を説く鍵とされている場所です。
剣山は、かつて「鶴亀山(つるぎさん)」と書いていました。
そして、多くの人が耳にしたことのある民謡の「かごめかごめ」
『かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀がすべった 後ろの正面だあれ』
という歌詞ですが、この歌詞は古代イスラエルでも使われていたヘブライ語の発音に似ており、そのまま訳すことができます。
いろいろ訳されていますが、簡単にいうと
「硬く安置された物を取り出せ 契約の箱に封じ込められた神器を取り出せ」
となり日本語とヘブライ語をブレンドさせることで、契約の箱は鶴亀山の鶴岩・亀岩の下に安置されていたが取り出され、別の場所に移動されたのではないかといわれています。
三木家
三木家は、太古から天皇即位の儀式「大嘗祭」で着用する「麁服(あらたえ)」を献上してきた一族です。
そんな重要な役割を果たす一族が、剣山の近くに住んでいる。
大きなロマンを感じずにはいられません。
国の重要文化財にも指定された家屋は、現在も子孫が守り続けています。
住宅横には資料館も設置されているそうで、見に行ってみたいと思わずにはいられません。
剣山登山ルート
ソロモンの秘宝の話、まだまだありますが本題に戻ります。
剣山山頂だけの往復では先に述べたように物足りないと思われる方も多いと思います。
そんな方は次郎笈(ジロウギュウ)まで行かれることをおすすめします。
また、丸石の先に丸石避難小屋があり、そこから奥祖谷かずら橋へ下りられるので、それもまたおすすめです。かずら橋から便が少ないですがバスがあるので、見ノ越に戻ってこられます。
バスは、土日祝や夏休みなどの期間のみの運行です。
三嶺の登山口の名頃に10:33発、かずら橋10:40発で見ノ越に10:58着と名頃13:43発、かずら橋13:50発、見ノ越14:08着の2本で三好市が運行しています。
でも一番おすすめしたいのは、次郎笈、丸石、高ノ瀬を超えて三嶺まで縦走するコース。
一日で縦走することもできますが、剣山頂上ヒュッテで一泊し、山頂で夕景や日の出を観賞するか、
もしくは、リフト降り場のすぐ近くにある西島キャンプ場にて一泊し、
そして、三嶺避難小屋でもう一泊する二泊三日の山行で、四国の山の奥深さ、三嶺の独特の地形と景観をじっくり観賞するのがおすすめです。近くにトイレもあります。
約21km、歩行時間約11時間(見ノ越→剣山1:30、剣山→次郎笈1:00、次郎笈→三嶺6:10、三嶺→名頃登山口2:10)にもおよぶ縦走ルートです。
剣山から越えなければいけない峰々、そして三嶺に立ったときの爽快感と達成感と充実感。
さらに、振り返ると歩いてきた道のりが見渡せる風景は、心に染みてくるものがあります。
気持ちのいい縦走路も、いくつもの峰々を超えると次第に自分との戦いの場になります。
あまりのしんどさに「なぜこんなことをしているのか?」とさえ思うこともあります。
あの山を越えた先に一体何があるのだろう。
しんどくて辛い思いをして立つあの頂に、一体何があるのだろう。
そう思い始めると、一気に足取りは重たくなります。
弱い自分と嫌いな自分、、、
そこにあるのは間違いなく負の自分です。
でもきっと、思い描くはずです。
未来の自分の姿を。
これからの自分の姿を。
自分は一体何がしたいのか。
そして、何が大切でどう生きていきたいのかということを。
だからこそ、あの三嶺の頂に立ったときには、心の中に凄まじいものを感じます。
爽快感、達成感、充実感。
そんな言葉では表すことができないものを心の中に感じることができます。
だからこそ、また山に登りたいと思うのかもしれません。
ぜひ皆さんも剣山から三嶺の縦走にチャレンジしてみてください。
いい縦走路です。
※注意事項
登山ルートやソロモンの秘宝伝説に係る内容などについては、誤解や虚偽のないものであるよう努めていますが、経年変化や、災害による一時的な変化によって、記載された状況が変わっていたり、解釈に見解の相違が生じることがあります。山行や紹介地を訪れる際には、ご自身でも最新の情報を収集してください。本サイトを利用して生じた損失や不都合などについては責任を負いかねます。