歴史と祭りの舞台でもある小さな高松山に登る

今回ご紹介する山は、広島市安佐北区にある高松山。
標高338.7mと小さな山ですが、急登もあってちょっとしたハイキングにはもってこいの山です。
そして、何といっても歴史の舞台、祭りの舞台として受け継がれてきた山。
高松山は中世の武将、熊谷氏が城を構えた場所で、また、可部の街に初夏の到来を告げる大文字祭りとして有名な山です。

山で行う「かがり火」で有名なのは京都の五山送り火ですが、ここ高松山で行われる「高松山大文字まつり」も200年以上続いている伝統的な行事。一度見てみたいと思っているのに、近年は土砂災害やコロナ禍で開催数が減っているのが残念でなりません。
京都の五山送り火は、お盆の精霊を送る行事でこちらの高松山の大文字まつりは火の神様への信仰献灯と火難よけを祈願する神事です。
その昔、可部の町に大火があった際に「大」の字型に焼け広がったため、火難よけを祈願したのが始まりとのいわれがあります。

そんな高松山の山頂はかなり広く、また、史跡も随所に残っているので歴史ロマンを味わうことができる数少ない山です。
麓から高松山を見上げると山腹が階段状になっており、本丸、二の丸、三の丸跡であることがよく分かります。

麓からの高松山
階段状になっているのがよくわかる

ちなみに高松神社がある場所が三の丸跡で、そこから山頂へ向かって堀を超えた一段高い場所が二の丸跡です。

高松山高松神社
三の丸跡にある高松神社
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登山口

高松山の登山ルート図
地理院地図(ベースマップ)を元に運営者が作成したもの

登山口は、知る限り根の谷川沿いの可部口登山口と水道局施設そばの上原ルート口です。他に桐原口もあるそうですが、よく分からず災害の被害により歩けないかもしれません。

高松山登山口
可部登山口
高松山上原ルート下山口
上原ルート口

根の谷川沿いの可部口登山口には数台の車が置ける駐車スペースがあります。また、JRの可部駅からも歩いていけるのでアクセスに困ることはありません。可部駅から約1.3km、徒歩約20分です。

登山ルート

可部口登山口から登山道を登り、山頂を踏んで上原ルート口へ下りても距離にして約1.7km、時間にして70分程度しかかかりません。可部駅との往復距離を加えても約5.5kmで2時間もあれば駅へ帰ってこられます。

可部口登山口から墓所の中を通り、しばらく登ると谷筋道と尾根道へ分岐します。谷筋の道は災害により危険との看板がありますので尾根道へと進みましょう。尾根道は城郭でいう与助丸を経由して馬場、三の丸へと進めるので尾根道のほうが城址としての見どころがあります。曲輪や石積跡が随所に残っていて何度も足が止まります。また、振り返った景色も良いので尾根道がおすすめです。

高松山墓所の中を登る
谷の右側を登ります
高松山登山道から振り返った景色
振り返った景色が素晴らしい

山頂へは50分もあれば登れるでしょうが、寄り道する場所がたくさんあるので、ゆっくりとした心持ちで寄り道しながら歴史に触れてみてください。せっかく登りに来ているのですから急いで登ってももったいないです。もう二度と来ないかもしれませんし。

山頂からの展望は、やはり昔に比べると木々が成長したせいか、そこまで…な感じです。でも広々とした山頂はボール遊びができるくらいの広さがあり、どこで休憩しようかと悩みます。

高松山山頂からの景色
もっと絶景だったような…
高松山の広い山頂
広々とした山頂

下山はそのまま北東へと進み、あっという間の20分程度で水道局施設のある上原ルート口に下ります。「え?もう着いたの?」と誰もが思うでしょう。

そこからは車道歩きになります。車道を歩いていると鹿が平然と道の真ん中を歩いていてちょっとビックリ!。近くのおじさんに聞いてみると「いつもの光景だよ」とあっけらかん。逃げる素振りもないのでこちらが少々戸惑いました。

そして、歩いていると平成26年8月豪雨の爪痕が至る所に残っていて、砂防堰堤もたくさん築造されているのを目にします。八木地区が大きく報道されていましたが、この地区も大きな被害が出たのだと改めて思い返しました。多くの恵みをもたらしてくれる山々ですが、時には大きな牙を向くことを忘れてはいけないと考えさせられた山行となりました。

※注意事項
登山ルート等の内容については、誤解や虚偽のないものであるよう努めていますが、経年変化や、災害による一時的な変化によって、記載された状況が変わっていたり、解釈に見解の相違が生じることがあります。山行の際には、ご自身でも最新の情報を収集してください。

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