JRの可部線に揺られながら緑井駅で降り、改札口を抜けると目の前に大きなビルがそびえ立っていた。商業施設と一体化した街は道路も綺麗に整備され、オシャレな街になったなと思わず呟いてしまった。一緒に降りた多くの人たちは、そのビルや商業施設の中へ消えていった。
ここからそのビルとは反対方向へ向かう。線路を渡り、緑井権現山の登山口を目指すが、同じ方向へ歩く人はいなかった。
10分も歩くと、「毘沙門天参道」と書かれた大きな看板が現れた。ここを右に折れ参道を歩きながら毘沙門堂を目指す。看板には「毘沙門堂これより1850m」と書かれていた。参道の面影は今では残っておらず、所々に石碑がある程度で少し寂しい感じがした。豊かで便利な社会が続いていけば、いつの間にか、ここが参道であったことも忘れ去られてしまうのかもしれない。田園風景が広がる中、ゆるやかな坂道を登り、少しずつ勾配がきつくなると住宅街へと変わっていく。最後に毘沙門台の団地へ上がる階段を登れば石でできた大きな鳥居のある場所に着く。鳥居の向こうに団地の下をくぐるトンネルも見える。参道入口から20分掛かった。
この大きな鳥居は、この前訪れてみるとなぜか撤去されてなくなっていた。修復が必要なくらい古びた感じもなかったが、なぜ撤去されているのか見当もつかない。検索しても出てこない。また設置されるのだろうか。
トンネルをくぐるとすぐに、先ほどのよりは少し小さめな石の鳥居が見え、その奥に鐘楼と呼ばれる赤い建物が現れた。
ここからが境内で、毘沙門天本堂までは階段を登っていく。途中、七福神の石像をはじめとする数々のお地蔵様や縁結びの岩と呼ばれる場所があり、見どころ満載の参道は寄り道時間が長くなってしまう。
最後の急な階段を登る途中、右に折れる階段があり、そちらへ進むと「東廻り遊歩道」となる。今日は、西廻り遊歩道を登るため直進する。階段を登りきると目の前に立派な本堂が現れた。
本堂そばには「弘法大師像」や石の一番幅の広いところに両手の中高指がとどく人にはその年の福が授かるしるしと言い伝えられている「福石」があり、ついつい寄り道してしまう。なかなか本格的な山登りをさせてくれない。
本堂をはじめとする多くの施設は、真新しい。それもそのはず、ここ毘沙門堂はあの平成26年8月豪雨により甚大な被害がもたらされた場所であり、見事再建することができた場所。きっと、多くの人に愛されてきた場所なのだと実感できる。
ひと通り参拝し、本堂裏から延びる道を多宝塔へ向けて進む。2~3分も歩けば見事な展望が広がる場所に着いた。「里見の岩」と呼ばれているらしい。確かに里が一望である。
そして、多宝塔も素晴らしい。麓から赤い建物がよく見えたが、どうやらこの多宝塔だったみたいだ。この多宝塔は私より若く、昭和59年に建立されたとのこと。原爆死没者の冥福のため、爆心地に向かって三層目の正面に大日如来が、二層目の四方に四天王が安置されている。
ちなみに、毘沙門天は四天王の一人であり、北方の守護神である。
緑井権現山へ
さて、この多宝塔の裏からが本格的な山登りとなる。といっても、遊歩道として整備された道はクッション材も敷かれており、かなり歩きやすい。今日は、ここから緑井権現山まで登り、阿武山、北阿武山の山頂を順に踏み太田川沿いの車道へと下る。
途中、ベンチが置かれた場所に着いた。きっと、地元の人が設置したのだろう。それもそのはず、ここからの眺望は圧巻。里見の岩よりも標高が高いだけあって、見事な展望を望むことができ景色に酔いしれてしまった。あまり疲れていないが、ちょっとした休憩となった。
そこから5分も登れば緑井権現山の頂上に着いてしまった。多宝塔からは30分程度である。
山頂には大きな電波塔が設置されていて、展望はきかない。休憩もせずに写真だけ撮って車道を下った。トイレを借りて、電波塔跡地を通り過ぎると車道脇に「阿武山ハイキングコース」と書かれた道標に出くわし、ここを左に折れて山道を進む。標識には「阿武山頂まで2,100m」「太田川まで5,000m」と書かれていた。太田川まで軽快なハイキングコースがあると思っていたが、最後には騙された気分となる。
阿武山へ
阿武山までの道は快適のひと言。落葉樹やアカマツ林が広がるなかなか美しい森の中を歩く。秋の終わりごろには中腹が紅葉に染まり、5月を過ぎると新緑のさわやかな緑色に覆われる。
小さなピークを何回か越え、鞍部である鳥越峠に向けて下る。鳥越峠には道標もあり、右に折れると七軒茶屋まで1800mと書かれている。ここから下る道は谷道でかなり荒れている。平成26年8月豪雨により大きな土石流が発生したのであろう。下りきると大きな砂防堰堤がいくつも整備されているので被害の大きさを実感できる。さらに令和3年の豪雨でこの大きな砂防堰堤が土砂で満杯になったとのこと。登山道は通行止めとはなっていないが、かなり荒れているのではないかと思う。
さて、鳥越峠から阿武山へ向けて進む。初めは緩やかな坂を登るものの、しだいに勾配がきつくなっていく。やっと本格的な山登りだなと思っていたら、阿武山の山頂に着いてしまった。鳥越峠から30分程度で着いた。
山頂には「阿生山山頂」と書かれた標識や貴船神社の祠、避難小屋?がある。昔から伝わっていた山名は「阿生」と書くのかもしれない。いつから「阿武」となったのだろう。山頂からの眺望は優れていたイメージを持っていたが、木が成長したせいか、そこまでの展望はなかった。
北阿武山へ
山頂で一休みしたあと、太田川へ向けて進む。しかし、ここから道が一変し、転げ落ちそうな激坂を下る。一旦、登り返し小さなピークを越えてもなお激坂が続き、最近、別に好きでもないのにこんな道ばかり歩いている自分に気付く。
鞍部まで下りきると穏やかに登る尾根道へと変わる。広い尾根道を小さくアップダウンしながら進むと「バス停 別所団地・中八木」と書かれた道標が現れる。右に折れて下ると上八木駅近くに降りられる。
さらに進むと三角点のあるピークに着く。北阿武山と呼ばれているピークである。もっと時間が掛かるものと思っていたが、案外すんなりと着いてしまった。昼には早いがあとは下山するだけなので、展望のない山頂で軽い昼食をとった。
昼食後、太田川へ向けて歩き出す。尾根道の下りで所々に急な箇所もあるが、相対的にみれば快適な部類かな。しかし、規則正しく植樹された針葉樹の森に変わり、谷へ下りると状況は一変する。谷沿いの道がなんとも険しい。一歩一歩慎重に足を運び、イモムシ程度のスピードで下っていく。本当にこれがハイキングコースかと思うほどである。ただ、針葉樹の森もいいものだと思った。
かつては歩きやすい道だったのだろうか。北阿武山から1.5キロ程度の道を80分も掛かってしまった。
車道へ下りると、「阿武山山頂まで2.8km」と書かれた道標があり、「ハイキングコース」とも書かれていた。やはり、かつてはハイキングコースとして歩きやすく、多くの人が歩いていたのではないかと思った。こちら側から登ったほうがいいのかもしれない。
ここから、あき亀山駅へ向けて歩く予定だったが、早めに降りてしまったため、上八木駅まで歩くことにした。天気も良かったせいか、こちら側へ歩いてみて正解だと思った。八木用水の取水口を見たり、あのチャップリンの秘書をしていた人が八木出身の人であり、その人が地元へ寄贈したものを見たり、太田川の河川敷へ下りてみたりと見どころが随所にあった。まだまだ知らないことがたくさんあるものだと思い、やはり知らない街を歩くのは楽しかった。
たっぷり時間を掛けて上八木駅まで歩き、電車に乗って家路についた。低山でも電車に乗り、街歩きをしたことでプチ旅を味わえた気分で。
緑井駅→毘沙門堂:約45分
→緑井権現山山頂:約30分
→阿武山山頂:約60分
→北阿武山山頂:約45分
→太田川:約80分
※注意事項
登山ルート等の内容については、誤解や虚偽のないものであるよう努めていますが、経年変化や、災害による一時的な変化によって、記載された状況が変わっていたり、解釈に見解の相違が生じることがあります。山行の際には、ご自身でも最新の情報を収集してください。