牧場の面影を残し草原の風情が漂う道後山

中国山地一帯は、そのなだらかな地形と豊富な山草を利用した牛馬の山地放牧が盛んに行われていました。

明治26年の記録によると、道後山と岩樋山の鞍部を中心とした両国牧場では240頭の和牛を放牧していたとあります。

鳥取県と広島県の県境が山稜を走る道後山では、山麓にある両県の酪農家が放牧を行っていたので両国牧場と呼ばれるようになり、その放牧牛がたびたび越境したため、明治の末期に「万里の長城」と称される石積みの牧柵を県境に築いたとのことです。

その面影は残っていて、岩樋山の頂上から両国牧場を経て道後山の中腹まで続いています。

苔むして、半ば風化しかけた石積みになっています。

時代の流れの中で両国牧場での山地放牧は昭和30年代の中ごろに廃れ、一面の芝山だった山稜には、徐々に灌木や背の高い草が茂り始めています。

くっきりと県境を分けていた石塁もそれらの灌木やササ原に埋もれかけています。

それでも他の山域に類を見ないこの石塁は十分な存在感があり、中国山地を代表する景観を見せています。

古くはタタラ製鉄の採鉄や炭焼きの山として、そして放牧の山として里人と深いかかわりを持っていた道後山。

今では気軽にハイキングが楽しめる山として日本300名山にも選ばれています。

三角点は東西に細長い頂上部の東側にありますが、最高点は西側で岩樋山と同じです。

両国牧場あたりでは、灌木が勢力を増しつつありますが、周辺に高峰のない道後山の山頂部は風当たりが強く、今なお草原の風情を維持しています。

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地形図

地理院タイル(ベースマップ)を元に当運営者が加工したもの

写真

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地質図

1/50,000地質図GISデータ(産総研地質調査総合センター)を使用し、当運営者が加工したもの

道後山の山頂付近は、火成岩です。

火成岩とは、マグマが冷え固まってできた岩石。

花崗閃緑岩(かこうせんりょくがん)・トーナル岩とあるので、マグマが地表近くで急速に冷え固まった岩石ではなく、地下深くでゆっくりと冷えて固まってできた深成岩です。水の味を苦くすると言われる鉄やマグネシウムをあまり含まないため、しばしば花崗岩地帯にはおいしい水の産地があります。

岩樋山山頂部は同じく火成岩ですが、斑レイ岩となっています。

地下深くでゆっくりと冷えて固まった同じ深成岩ですが、石英を含まないことから花崗岩や閃緑岩よりも黒っぽく見えます。

ちなみに、南側に広がる黄色の場所は、付加体と呼ばれる地質です。海洋プレートが沈み込むときに、海溝にたまった土砂とともに大陸側に押しつけられ、はぎ取られた地質体のことです。

植生図

1/25,000植生図GISデータ(環境省生物多様性センター)を使用し、当運営者が加工したもの

山頂付近は、タニウツギ-ノリウツギ群落とササ群落なっていて、低木が広がっていることがわかります。

黄色部分は、ヌマガヤオーダー(中間湿原)となっていて、亜高山帯の緩い斜面か平坦な大地の湿原にヌマガヤを主とする湿性植物が生育している場所です。

立山の弥陀ヶ原と同じですね。

※3D画像・地形図は、国土地理院の地理院タイルを利用してます

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