毎年、山岳事故のトップを独走しているのが道迷い遭難です。
毎年、遭難事故の4割前後の人が道迷いによるものです。
また、滑落や転倒は、道迷い後であっても滑落・転倒に分類されるため実際にはもっと多いものと思われます。
令和2年はコロナ禍ということもあり、遭難者全数は減りましたが、道迷いが原因の遭難者数は減りませんでした。
その結果、道迷い遭難の割合が44%と高い割合になっています。
多くの人がスマホを持つ時代となり、山に登る人の多くがGPSアプリを入れ、地図が読めなくても「いつでも現在地を確認できる」時代となりました。
また、登山口や下山口、登山ルートに関する情報を簡単に手に入れることができる時代となりました。
にもかかわらず、なぜ道迷い遭難が減らないのでしょうか。
情報化の社会がもたらすもの
今現在、登山の敷居はずいぶんと低くなったような気がしてます。
それは良いことなのか悪いことなのかよくわかりませんが、誰でも簡単に登山ができる時代になっていると思います。
もともとは登山の敷居はものすごく高くて、簡単に山に入ることはできませんでした。
山に対する情報が少なかったからです。
だから多くの人は、登山ツアーに参加したり、山岳団体に入ったり、ガイドを雇ったりしていました。
今の時代、そんな人は少なくなってきていると思います。
スマホの普及、情報化の社会といった近代文明が発達した世の中では、多くの情報が飛び交っています。
山登りの楽しさ、自然の素晴らしさ、山に登ることでしか見れない景色の美しさ、山ガールファッションの可愛らしさ、購買欲をそそる新しいギアやファッションとしてのウェアの情報など、登山に対する魅力がたくさん飛び交っています。
山の怖さや危険などについての情報はあまり見かけません。
いや、情報自体は多く存在しているものの、それを目にすることが皆無であるといったほうが正解かもしれません。
私も含めて、情報を発信する側にも大きな責任があるものといえます。
ギアやウェアで悩む人のための情報提供より、どうすれば道迷い遭難を防げるのか、山のリスクを減らすためにはどうすればいいのかといった情報を強く発信することが大切なのかもしれません。
そんな状況下であるため、山登りの魅力だけを大きく受け入れ、また 山に入るための情報を手に入れることが誰でも簡単にできるため、登山に対する敷居が低くなっているのではと考えられます。
でも「山に入るための情報入手」や「GPSアプリによる現在地の確認」はある意味、安全という情報を手に入れているわけなので、道迷い遭難は減少していくはずです。
にもかかわらず、道迷い遭難は減少していかない。
なぜ減っていかないのか?
山は危険であるという認識
一般的には、ルートを「おかしい」と感じても引き返さず「まあ大丈夫だろう。もうちょっと進んでみよう」と考える『楽観主義バイアス』という人間が無意識的に潜在させている思考が働くことが原因と言われています。
「おかしいな」と少しでも思ったら引き返すことが重要なのですが、この認知バイアスによる判断ミスの積み重ねで道迷いが発生してしまいます。
進み過ぎて道に迷ったことをはっきりと認識しても「今さら引き返すのも面倒だ」と労力の比較によりそのまま進み、やがては沢に入り込んで滑落してしまいます。
道迷い遭難が上りより下りで多く発生してしまうのは、この労力の比較を無意識のうちにしているのです。
登り返すの面倒ですよね?
これ、私も何回か経験していますが、まさのこのとおりの状況でした。こうした経験を実際にすることが重要なのでしょうが、訓練ではなかなかそうした潜在的意識を働かせることは難しく、一歩間違えば本当に遭難してしまいます。
また、「山は危険である」という認識が薄くなってきているのかもしれません。
それは、先に述べたようにネガティブな情報を目にすることが皆無であるためです。
また、情報自体を多く発信していても、受け取る側がどう受け取るのかといった問題もあります。
一切目にすることがない人もいるのかもしれません。
そして、やはり「ただ連れていかれるだけの登山」をしている人が、今も昔も多いことが原因ともいえます。
登山ツアーに参加する、山岳団体や登山サークルに入り定例登山にリーダーではない形で参加する、ガイドを雇う。
そのすべてが「ただ連れていかれるだけの登山」です。
自分の意思や考えに基づいて登山をしていません。
そうなると、「案内人についていけば安全」という認識が強まり、「山は危険である」という認識が薄まるという現象が起こるような気がしてます。
ビジネスとしての登山が、遭難事故を減らさない一因となっているのかもしれません。
また、単独で登山をする人も増えてきていて、単独登山者の遭難件数が多くなっていることも事実です。
それは、先に述べたように山に関する情報を簡単に手に入れることができる時代になったからでしょう。
ただ、単独で山登りをしている人は「山は危険である」という認識を強く持っているはずです。
そして、山登り中も現在地の確認を怠るようなことはしないはずです。
ひとり登山の場合は、誰も助けてくれないという認識があるからです。
でも単独登山者の遭難は多い。
その原因が道迷いによるものなのか公表されていないため真相はわかりませんが、少なくとも単独登山者の多くは「山は危険である」という認識を持って山登りをしているはずです。
ではなぜ道迷い遭難は減らないのか。
もしかしたら、単独登山者も「山は危険である」という認識が薄れてきているのかもしれません。
情報を発信する側の責任
最終的には、「山は危険である」という認識を薄めているのは、やはり情報を発信する側、登山をビジネスとしている側の責任といえます。
登山という行為は何物にも代えることが出来ない素晴らしい体験を得ることができます。
私自身、多くの人に登山をしてもらいたいと思っています。
よって、山登りの楽しさ、自然の素晴らしさ、山に登ることでしか見れない景色の美しさを伝えるのと同時に「山は危険である」ということも併せて伝えることが我々の責務であると思われます。
最後に、長野県警山岳安全対策課の道迷い遭難を防ぐための3つのポイントを紹介しておきます。
- 登山前に地図を読み込んで登山をする山域の地形概要や登山コース上の通過点となる分岐点などをあらかじめ把握する。
- 登山中は地図をこまめに開いて現在地を確認する。
- 「道を間違えた」「道に迷った」と気がついたら早めに元の道に引き返す。
なお、「近年は携帯電話のGPSアプリやGPS端末などが普及し、登山中も簡単に現在地を確認できるようになっていますが、電子機器のみに頼るのは故障やバッテリー切れなどのリスクがあります。必ず紙の地図も携帯してください。」と最後に書かれています。